【2012】快晴の、二年目。(2012-12-25)

shima fes SETOUCHI 2012閉幕後 100日記念企画コラム

「あれから、100日。これから、100年。」

今年で第2回目の島フェスを終えて、今日、2012年12月25日でちょうど100日。

メリークリスマスのメッセージと共に、感謝の気持ちと更なる決意を込めて。

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2012年12月25日(火)「あれから、100日。これから、100年。」

【台風の、一年目。】

さかのぼること1年。開幕初年である昨年の島フェス、記念すべき第一回開催はこのコラムでも書かせて頂いたよ うに、
まさかの台風直撃による悲運の幕開けとなった。

多くの方々にご心配とご迷惑をおかけした中で、「次につながるものにしたい」「中止にはしない」という決意のもと、
何とか半日のみ、開催にこぎつけた。荒れていた空や海は清々しく青く輝きを取戻し、笑顔に満ちた最高の 一日に
なった。海をこえてやって来てくれた方々と、言葉をこえた次元で達成感を共有できた幸福な時間だった。

それでも、イベントとしては大きな赤字を背負い、自然の脅威を思い知らされたという点でとても重々しく、不安な
出来事として僕たちスタッフの胸に深く刻まれた数日間だった。

充実感と、ショックと、不安と、色々な思いが駆け巡っていた。

けれど、僕の心の中は、未来から差し込む希望の光がいっぱいで、目の前を強く大きく照らしていた。
この素晴らしい瀬戸内海に、一人でも多くの人が島フェスをきっかけにして訪れ、感動し、好きになってほしい。
未来には、一切の迷いも不安もなかった。この海を、信じていた。僕自身が生まれた、この素晴らしい海を!

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【快晴の、二年目。】

2012年9月15(土)、16(日)そして前夜祭の14(金)も含め三日間。「百年つづく、いのちのフェス。」のコンセプトの
もと、いよいよ二回目、二年目の島フェスが開催された。

開催前は、「ホントにやるの?」「野外はやはり天候が読めないから危険」などネガティブな意見もあったが、同時に、
多くの方から昨年の開催について温かい応援や励ましのメッセージを頂いた。アーティストの方々に「今年こそ」と出演
依頼の連絡をすると、皆さん、「やりましょう」と声を揃えて集まってくれた。胸が熱くなった。二年連続、トリを飾って頂いた
僕と同じ香川県出身の曽我部恵一さんには特別な敬意をもって感謝している。

特に今年は、小豆島の小豆島町長、土庄町長をはじめ、役場の方々、会場となる小豆島ふるさと村、連動企画を展開
した小豆島・二十四の瞳映画村の方々、島の若者たちなど、島内でも多くの方々にご支援頂きながら開催を迎えた。
昨年の台風が、固い結束と見えない力を生んでいた。僕はたくさんの存在、縁脈、そして自分の決意に支えられていた。

そうしてむかえた当日。これまで見たことがないほどに晴れた。晴れた。晴れた。

寸分の曇りもない快晴。これぞ、快晴。THE・快晴。

メイン会場の小豆島も、サブ会場の鬼ヶ島(女木島)も、真っ青な空と海と、多くの人たちの笑顔で包まれていた。
瀬戸内の食糧地(自)給率100%、のテーマで企画したフードエリアも大賑わいで、流しそうめんも、讃岐うどんも、徳島の
すだちも、高知の鮎の塩焼きも、愛媛のポンジュースみたいな感じのやつも、とても好評だった。

すれ違う人たち、遠方から駆けつけてくれた友人たちもみんな「晴れたね!」「良かったね!」と声をかけてくれた。

けれど僕は、笑顔で受け答えながらも、同時に、喜びではない、不思議な感覚でその一瞬を過ごしていたのだった。

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【自然の、力。】

確かに今年は晴れた。近年稀にみる、ド快晴。でも昨年は台風だった。小豆島のオリーブの木がへし折れるほどの
ド台風。この、乱高下。この、気まぐれ。この、予測不能。つまりこれが自然なのだと思った。今年、本番直前には
スタッフからも「今年は台風、大丈夫ですね」「今年は…」という言葉を幾度となく聞いた。しかしそうした安堵よりも、
僕には、来年、再来年、と続ける中で、「一体、今後あと何回、台風が直撃してしまうのか」という不安の方が強かった。
今年のこの快晴が、逆に、まるで大自然にもてあそばれているようで、この心地よい天候が、僕に、圧倒的な敗北感を
知らしめてしまったのだった。

僕は、会場の人たちの笑顔を見つめながら、それとは裏腹の、これまで味わったことのないような緊張感、使命感を
ぐっと感じていた。そうか、僕は、自然と共に生きる道を、生業の道に選んだ男なのだと。強く、強く、そう感じた。
来年は、晴れるだろうか?

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【楽しむ、心。】

とは言いながらも、僕はすでにこの時、自然との付き合い方、作法、マナーというべきものを心得ていた気がする。
それはたった一つ、「受け入れる」ことだと僕は思う。この表現が適切かどうかは分からないが、今の僕の心情からは
この言葉が最もあてはまるように思う。晴れても曇っても雨風や台風がきても、人間は、自然を拒むことができない。
波を越えて海を進む船は、海の上を進んでいるだけだ。空を飛び交う飛行機は、空の中を移動しているだけだ。雨が
降りしきる中、傘を差して街を歩く人々も、雨に打たれているのだ。人間は、常に、自然を受け入れて、自然と共に、
過ごしていかなければならない。それが生きるということだし、人間だけでなく、この地球に命というものが芽生えてから、
ずっと自然とはそうした存在だったのだ。

だとすれば、せっかく生きるなら、楽しく生きたいと思う。人間が本当に心の底から楽しいことは、きっと隣りにいる人とも
共有できるはずだし、おそらくどの時代にも共通する要素はあって、それが人生に必要な体験だと思っている。

本当の笑顔を知っている人は、本当の涙を流す。本当の涙を知っている人は、本当の笑顔で笑う。そういうものかもしれない。

自然との対峙を考えた時、僕は、人間として「楽しむ心」の大切さをいつも感じるのだ。

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【素晴らしい島国、日本。】

去年台風だったこともあり、この三日間という日程でこの規模のイベントを運営することは、島フェスにとっても初挑戦
であり、素人の我々にとっては大変困難なことだった。尊敬すべきスペシャリストたちに支えられて何とか乗り切ったが、
代表である僕が力不足、経験不足もあって本当にスタッフのみんなには苦労をさせた。本当に苦難の連続だった。

体も心もちぎれるかと思った。さらに今年は、昨年からのご縁もあり、この9月の小豆島・鬼ヶ島での本戦だけではなく、
7月は直島(直島アゲイン!共同開催)、8月は伊豆諸島・新島でも開催という大掛かりな企画だった…。

島国日本には素晴らしい島が溢れている。島フェスという名の「お祭り」が、楽しいことが大好きな人たちの手によって
どんどん島々に広がり、日本の島々に活気があふれ、地元の人も見過ごしがちな海に浮かぶ様々な魅力に日本人が
目を向けた時、この日本という素晴らしい国はもっともっと遊び場に溢れた楽しい空間になっているに違いない。
大震災、不安定な政治、少子高齢などあらゆるこの時代の要素がこれからの日本人の価値観や人間性を形成する要素
になる。そしてそこには不易流行、伝統として日本人が受け継いできた要素も忘れてはならない。楽しむ心はきっと世代
や地域を越えて人々を強く引き合わせる力になる。音楽、食、踊りなどはその出口であり入口だと思っている。

島フェスは海をこえて、楽しい心が響き合い、集まる、海のお祭りでありたい。僕が生きているうちに はどこまで良いものに
仕上げられるか分からないけれど、この先、100年間、続けていたら、きっと多くの人、地域、伝統がつながる素敵な
”海のお祭り”になるに違いない。そうしていきたい。そんな思いで、震災の年、2011年、この島フェスは誕生した。

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【百年つづく、いのちのフェス。】

「百年続く」という事実は、人間一人では為し得ないものだ。何世代もの人たちの心、手、言葉、目に見えないものが
つながって重なって刺激し合って、はじめて実現すると思う。百年って、とても果てしない。

今から百年前の1912年は、孫文が中華民国の成立を宣言し、米国ではアリゾナ州が誕生し、タイタニック号沈没の
事件が発生し、通天閣が完成し、明治天皇が崩御したという一年だった。百年も経てば時代が変わる。人も変わる。

価値観も変わる。 しかしその中でも残っていくものこそが人に愛されているカタチであり、価値である。 それはきっと、
もともとそこに在るものではなく、そこに関わる一人一人が育てていくものだろう。

誰か一人、個人ではなく、関わる人たちの様々な接点がつながり、一つの線となって、この島フェスのアウトラインを
描いていくのだと思う。一個人ではなく、この思い、活動、その継続が、このお祭りを、確かに育てていく。

みんな、少しずつで良いので島フェスのことを知って下さい。そして少しずつで良いので好きになって下さい。

いつまでも「島フェス」を末永く、宜しくお願い島す。

百年つづく、いのちのフェス。shima fes SETOUCHI。

永遠に、スタート!!!!

(shima fes SETOUCHI 代表 丸尾誉 2012年12月25日)

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※島フェス公式Twitter @shimafes

※島フェス公式Facebook http://facebook.com/shimafes

※島フェスの活動がTOYOTAカローラ「ニッポンコレカラプロジェクト」に採用されて動画CM作成しました。

島フェスで日本の島々の魅力を伝えたい(TOYOTAカローラ「ニッポンコレカラプロジェクト」)

以上